悪気がなくても「やってしまう」 |
かつて祖父の周りには、自営業を営んでいた影響もあり、いつもなぜか彼をおだてる人がそばに必ずいました。私の祖父はなぜか他人からおだてられていると、舞い上がったように気分が良くなるようです。
また、自分を避ける人を怖がっていたようでした。人間だけではなく猫からも避けられると、その猫を怖がっていました。
きっと、自分が一度信じた相手から避けられるのが苦痛で耐えられないのです。だからいつも他人を信じないように遠ざけていたように思います。
こんな変わった人の孫として、幼少の頃から「こんな人も世の中にはいるのだな」と思いながら育った私としては、いじめや嫌がらせ、差別、理不尽な悪さをしている人の気持ちがわからなくもないんです。
そんなに悪気がなくても「やってしまう」のだと思います。
多分、きっと寂しいのだと思います。そう思える理由は、どんな悪あがきも、結局他人がいなければできないからです。
自分がした事を見て、他人から嫌がってもらいたいのでしょう。独り相撲では意味がないんですから。
だけど、本当は他人を信じたい。ただ、どうしても信じられないから(嫌われるのが怖いから)意地悪をして遠ざけてしまう。だけど、信じたい。
そんなジレンマを繰り返しながら、ただ疲れ切っていました。
「今あの人は老人ホームで何を考えているのか」と日々思いますが、それだけ私にとっては本当に憎しみ深い対象でもあったのですが、同時に心の中で一目置いていた人物でもあるのかもしれません。
しばらく、そっとしてあげようと思っています。
画像・田んぼの稲(いね) 淀屋橋心理療法センター
https://flower.yodoyabashift.com/2014/08